写真現像/心霊写真/写真作品集/素人投稿写真
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写真が発明される19世紀以前にも、光を平面に投影する試みは行われていた。 画家達は、16世紀頃には立体の風景を平面に投影するために、カメラ・オブスクラやカメラ・ルシダと呼ばれる装置を用い、その中に投影された影をなぞって本物そっくりの絵を描いた。 これらの初期の「カメラ」は像を焼き付けて固定化することはできず、単に壁に開いた開口部を通して、像を暗くした部屋の壁に投影するだけのもの、つまり、部屋を大きなピンホールカメラにしたものだった。 カメラ・オブスクラ とは暗い部屋といった意味である。 18世紀には、銀とチョークの混合物(塩化銀)は光に当てると黒くなるという1724年のヨハン・ハインリッヒ・シュルツの発明をはじめ、塩化銀やハロゲン化銀など銀化合物の一部は感光すると色が変わることが知られており遊戯などに用いられていたものの、これとカメラ・オブスクラなどを組み合わせる発想はなかった。
カメラ・オブスクラの映像と感光剤とを組み合わせ、映像を定着させる写真術の発明は、19世紀初めにほぼ同時に複数なされた。このとき美術は、新古典主義からロマン主義への移行期であった。また、大勢誕生した中産階級によって、肖像画の需要が高まっていた。そして、石版画が新聞図版や複製画などに活用され、大衆化しつつあった。
究極的には、現代の写真処理は、1840年から最初の20年の一連の改良に基づく。ニセフォール・ニエプスによる最初の写真の後、1839年にはダゲレオタイプが発表され、直後にカロタイプも発表された。写真の普及は肖像写真ブームと、1850年代の湿式コロジオン法の発明、1871年のゼラチン乾板の発明へと続いた。
1884年、ニューヨークのジョージ・イーストマンは紙に乾燥ゲルを塗布する方式を開発し、もはや写真家は乾板の箱や有毒な化学物質を持ち歩かなくて済むようになった。 1888年7月、イーストマンの設立したコダックカメラが「あなたはボタンを押すだけ、後はコダックが全部やります」との触れ込みで市場に参入した。 こうして現像サービス企業が登場し、誰でも写真撮影が可能な時代となり、複雑な画像処理の道具を自前で持つ必要はなくなった。 1901年にはコダック・ブラウニーの登場により写真は大量生産市場に乗った。1925年の35mmライカカメラの登場で大衆性、カメラの持ち運びやすさ、フィルム交換の手軽さは高まり、機動性が更に高まりスナップ写真が一般化するなどした。
20世紀以降、カラーフィルムやオートフォーカスやオートエキスポーズが広まった。 画像の電子記録も広まっている。 現在では、デジタルカメラの液晶画面に依るインスタントプレビューが可能であり、高画質機種の解像度は高品質の35mmフィルムのそれを越えているとも言われるようになった。コンパクトデジタルカメラの価格は随分低下し、写真を撮ることの敷居はより下がってっている。 しかしながら、専らME・MFのカメラと白黒フィルムを使う撮影者にとって、1925年に35mmライカカメラが登場して以来変わった点はほとんどない、とも言えるのである。
2004年1月、コダックは「2004年末をもって35mmリローダブルカメラの生産を打ち切る」と発表した。 これはフィルム写真術の終焉と受け止められたが、当時のコダックはフィルムカメラ市場での役割は小さなものであった。 2006年1月、ニコンも同様に、2つのモデルを除いたフィルムカメラの生産を打ち切ると発表した。 生産を続けるのはハイエンド機F6とローエンド機FM10である。 2006年5月25日、キヤノンは新しいフィルムSLRカメラの開発を中止すると発表したものの、現在でも、4種のフィルムSLRを販売している。 35mmカメラおよびAPSコンパクトカメラの値段は下落してきた。 恐らく、直接的なデジタルカメラとの競争と、中古フィルムカメラ市場が拡大が原因である。
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posted by シンゴ at 00:00
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